大竹弘二(2018)『公開性の根源−秘密政治の系譜学』太田出版 (1)

 

また自分なりの要約。5回くらいに分けて書く予定。(ただし、読書会(2018年度・前期) | egoist political theory こちらの読書会に出席して得た観点も多少盛り込まれている)

 

序論

・問題関心と本書の目的

執行が規範を超える、法の規範的側面が統治の暴力によって乗り越えられてしまう、例外状態の常態化が起きている、という警鐘は様々な見地からなされている。フーコーネグリアガンベンなど、いろいろ思いつく。しかし、統治が法や規範を超えて機能するということは、現代に始まった新しい現象ではない。

そもそも近代国家は宗教戦争の混乱状態(例外状態)から誕生したのであり、その際に行政執行の活動こそが近代国家の本義であった。シュミットも、「あらゆる国家活動の始まりは行政である。のちになってようやくそこから立法と司法が分離したのである」と述べている(Carl Schmitt, Diktatur und Belagerungszustand. 本書12頁)。

したがって、通常我々が近代国家を考える際に規範的に看做している前提は、考え直されなければならない。つまり、民主的にせよ非民主的にせよ、まず主権があって、その主権の命令通りに統治や行政が粛々と仕事を進めるという見方は修正されなければならない。法は自分自身を実現することはできない(シュミット)。同じく主権者は自分自身を実現することができない。主権者は自分だけでは統治することはできない。統治や行政が、実際に事に当たるのである。したがって、統治には法や主権者を常に追い越していく契機が内在している。「主権に対する統治の優位」(16頁)は、近代国家の本質的な傾向である。

すると大事なのは、主権者が鎮座する部屋ではなく、そこに通じる「前室」、舞台裏といった秘密の空間の分析である。そこでは、目立つ権力者の周りを取り巻く、大臣、侍従、侍医などが実際の執行に深く関わっている。「近代主権概念が誕生するこの時期(16世紀:引用者)には、法や道徳から自由な統治技法についての数多くの言説が生み出された。そしてこうした行政統治術の系譜は、近代のポリツァイ学を経て、今日の社会国家(福祉国家)にまで繋がっている。ある意味で今日の国家は、それが生まれた近代初期の原形態に回帰しつつあると見ることができるかもしれない」(11頁)。

「近代においては法や主権のような規範的審級によって政治の公開性が担保されてきたとするなら、例外状態はつねにその影として取り憑いてきた。本書が試みるのはいわば、近代的な公開性の根源にあるこの秘密政治の系譜学である」(16-17頁)。

 

・本書の構成

本書が三部構成になっていることは、重要である。なぜなら、本書の三部構成は、大雑把にいってしまえば、筆者が近代国家の変遷(系譜学)を三段階で捉えているということに対応しているからである。

つまり、第1段階は16・17世紀。中世政治秩序が崩壊し、混乱と内戦が蔓延する中で、権力獲得・維持のためには陰謀や術策といった秘密(アルカナ)の統治が必要とされた時代。第2段階は17・18世紀。バロック絶対王政期。中世宗教秩序に依存しない近代国家の秩序がある程度安定してくる中で、政治権力は君主の栄光や主権を典礼や祭典を通じて見せる(代表的公共性)ようになった時代。第3段階は19・20世紀。社会国家(福祉国家)の成長の中で、一度は主権の公開性が目指された近代国家が、再び秘密の統治によって運営されていくようになる時代。

言い換えると、少し図式的すぎるかもしれないが、「第1部→第2部→第3部」は、「秘密→公開性→秘密」または「統治→主権→統治」と整理できる。ただし、最初の秘密=統治と、3段階目で回帰してくる秘密=統治は当然同じものではないだろう。この点については後々詳しく述べられる。

 

つづく。