大竹弘二(2008)「処罰と正常性−例外状態のなかの司法と犯罪統制」『現代思想』36号13巻

いつもどおり、要約しただけ。

大竹弘二(2008)「処罰と正常性−例外状態のなかの司法と犯罪統制」『現代思想』36号13巻。

 

p142:犯罪に対する処罰の仕組みは、応報原理(犯された罪の内容から、それと等価の処罰が自動的に演繹できるとする)を根源とする法的カテゴリーだけで説明しきれるほど単純なものではない。処罰は単なる法適用に尽きるものではなく、社会的実践の領野に属している。ゲオルク・ルッシェとオットー・キルヒハイマーの『処罰と社会構造』(1939)は、処罰の実践は決して単に法律的な問題に限定されず、時代ごとの経済的生産関係に規定された具体的社会制度として考察されなければならない、と論じた。これを引き受け発展させた、フーコーの『監視と処罰』(1975)は、監獄や精神病院を規律訓練権力を作り出す社会のテクノロジーとして描き出した。

その時代の社会経済構造と刑罰制度の関係を論じたものとして、他にもMichael Ignatieff. 1978. A Just Measure of PainやAndrew Scull. 1977. Decarcerationなどがある。

 

p143:処罰は、社会秩序そのものの「正常性(Normality)」を維持する実践として考える必要がある。19世紀末以降のチェザーレ・ロンブローゾやエンリコ・フェリら新刑法学の「社会防衛論」が論じていたことは、刑法の任務は犯された罪への応報よりも、罪を犯した者を社会的な正常性へ適合させることであった。

このように、刑罰の実践には、法の適用に先立って、正常性についての決定があるはずである。法が適用され、実行的であるためには、その内容が社会的に秩序の正常な状態に適っていると受け入れられる必要がある。しかし当然、正常性を説くことは、法を守ることと、特に例外状態の問題において相克する。

 

p144:ルッシェとキルヒハイマーの『処罰と社会構造』(1939)。1970年代以降、フーコーの『監視と処罰』で取り上げられるなど、処罰と権力の問題に批判的関心を寄せる研究者によって再注目される。『処罰と社会構造』と『監視と処罰』に共通するのは、処罰というものが単なる法的システムの決定の結果ではなく、社会経済的な構造からの影響を受け、時代ごとに目的も手段も大きく変化するという視点を持つことである。ルッシェとキルヒハイマーの場合は、マルクス主義の影響が強く、処罰を経済的な下部構造に規定された実践として捉える見方が、より明確に取られている。罰金刑、身体刑、自由刑といった行刑の変遷は、各時代の経済構造において必要とされる労働力の特徴や需給関係に大きく依存しているとされ、処罰制度の発展は、資本主義的生産様式の発展と併走していた。したがって、犯罪者がいかに処罰されるか、という問題は犯罪自体の統制とは関係がなく、労働市場の状況や都市環境の繁栄である、と考えるのである。18世紀になって残虐な刑罰が減るのは、人道主義による達成ではなく、資本主義とそれが要請する労働者の問題である。

 

p145:このように、処罰の問題を法的カテゴリーを超えて分析しなければ意味がないという姿勢は、彼らのナチス時代の刑法の経験が強く影響している。その特徴は、一言で「罪刑法定主義の解消」と要約できる。法律に違反している行為が罰せられるのではなく、その行為を禁じる法律が存在せずとも、「健全な民族感情」にそぐわないとみなされる行為が処罰されるのである。「健全な民族感情」という前法律的な概念が法的な概念を超えて、決定を進める。キルヒハイマーは、その萌芽をヴァイマル共和国末期において既に、「二段階合法性」(通常の方法的体系の上に、健全な民族感情のような超合法性または「正常性」が機能する)として記述していた。これは、ヴァイマル共和政において、社会秩序の混乱を収拾するために乱発された大統領緊急命令の日常化のことを念頭に置いたものだった。世界恐慌以後、危機の恒常性の名の下に、行政が立法と司法の法体系を超越した決定を行う慣例が、その後の合法性ではなく正常性による統治をもたらすこととなった。 

シュミットも、政治的立場は真逆ながら、同様の問題意識を持っていた。彼は中立化の形式的保障でしかない自由主義的な法体系を批判するなかで、秩序の「正常性」の概念に注目する。法規範はどこまでも中立と形式だけで成り立つことはなく、それを前提のレベルで支える「正常性」があるはずであり、それに無自覚であると、法とは諸党派が自分の都合の良いように解釈して政治利用できる戦術的な武器でしかなくなってしまう。ただ中立的なだけの合法性は、「具体的秩序」を持たないが故に、その場その場での権力者によって空洞化させられてしまう。実定法を超えた秩序感を認めない法実証主義では、法運用の無限の拡大を抑えることができないがゆえに、かえって恣意的な決断主義を生み出しやすい。シュミットは、それならば、初めから「正常性」「具体的秩序」を意識化した法体系による安定性を支持すべきだと考える。シュミットにとって自由主義法治国家と法実証主義罪刑法定主義は、形式的なものですべてを治めることができるという誤った考えであり、法を基礎付けている実質的な正義、「正常性」が欠けている。この点で、キルヒハイマーらとシュミットは意見を違うのであり、前者は「具体的秩序」こそが法の恣意的な運用であるとして批判するのであるが。キルヒハイマーらにとって、こうした正常性は、法の安定性を支えるものというよりも、ブルジョワ的経済構造の安定性を維持したい立場から見た恣意的な「正常性」でしかない。(p147)

 ※C・シュミット「法学的思惟の三種類」『シュミット著作集1』所収。

このように、合法性を超えた正常性によって処罰の基準が決まるとなれば、事後法も問題ないことになるし、法律違反者が裁かれるのではなく、社会の正常性からみて逸脱的だとされる場合は裁かれることになり、合法性は空洞化する。大竹(2008)は、「法運用が法を超える」状態と表現し、シュミットの定義した例外状態の出現だとしている。(p147)。

けれども、それでは危険なシュミット、ナチスの考えを退ければ、解決かといえば、それほど単純ではない。法には、自らが前提としている正常性によって、逆に超越されてしまうという問題が常に存在するのである。「法はそれ自身だけで秩序を構成できるのではなく、秩序そのものの正常化に関わる実践の契機を不可避的に伴うのだとすれば、そうした緊張関係を法から払拭することは決してできない」(p147)。このことは、19世紀末から20世紀初頭の「刑法学論争」以来すでに議論されてきたことだった。それは、アンゼルム・フォイエルバッハ(哲学者フォイエルバッハの父親)の自由主義的古典刑法学(旧派)が、実証科学的知見を法学に導入しようとする社会防衛論(新派)によって挑戦を受けた論争である。

 

p148:旧派、すなわち近代刑法学は、罪刑法定主義、「法律なくして犯罪なし」の原則を打ち立てた、自由主義的な刑法学である。これは、それ以前の絶対主義的な警察国家に対する批判として、ドイツ的文脈の中で登場したものである。絶対主義的警察国家とは、18世紀絶対主義のポリツァイ(内務行政=警察)思想に基づく、犯罪者に対する具体的刑罰が犯罪を抑止するという、特別予防を重視してきた。フォイエルバッハが批判したのは、この絶対主義的警察国家が含む恣意性であり、犯罪が犯罪であるためには、あらかじめ法律によって定められている必要があり、法律において公に規定されていることによる威嚇効果で犯罪は抑止できるとする一般予防を抵抗して提示したのである。

フォイエルバッハ的な法治国家の学説は、しかし、それ以後、新派刑法学からの挑戦を受けることになる。新派が重視したのは、法律の普遍性や一般性、罪刑法定主義といった形式ではなく、犯罪原因に着目した社会政策的な措置であった。刑法は法律の形式的な領域にとどまらず、生物学、社会学、心理学などの蓄積を利用した犯罪原因の科学的分析にも依拠すべきとの姿勢。特にイタリアで、ロンブローゾ(生物学的類型)、フェリー(社会経済的背景)、ガロファロなど。

それを受けて、ドイツではリストが『刑法における目的思想』、後にマールブルク綱領と呼ばれる講演を行ない、犯罪からの社会防衛こそが刑法の目的であり、そのためには、罪を犯したものを責任能力のある自由な行為主体として処罰するだけでは不十分であり、犯罪を引き起こす社会的条件を対象とする政策科学に役割を認めるべきであると主張した。新派にとって犯罪とは、単なる法学の問題ではなく、刑事・社会政策によって取り除かれるべき社会的原因の問題である。「社会防衛」という言葉が盛んに用いられるのは、このような刑法学論争の新派の台頭(象徴的には1889年にリストらによって創設された「国際刑事学会」が「社会防衛」を標語として採用するなど)の結果であった。

 

p149:自由主義的な旧派から社会防衛を重視する新派への転換は、法概念としての犯罪から、犯罪を犯す人間(とその社会的背景)へ関心の中心を移すことと言い換えられる。旧派にとっては、犯罪とは何より犯罪行為であって、つねに存在する犯罪者という考えは取られない。対して新派の論理によれば、特定の生物・社会・経済的カテゴリーから、犯罪行為とは独立して犯罪者が存在することになる。犯罪学criminologyというディシプリンが誕生したのが、19世紀末であることは偶然ではない。犯罪学とは、犯罪について単なる法学の領域を超えて、犯罪がなぜ起きるのか、犯罪を減らすためには社会経済的にどのような政策が必要か、を論じる学である。この流れの中に、社会政策が法学に優越する契機があることは否定できない。犯罪者の具体的状況や性質に着目した治療的視線や保安処分が、刑罰議論の中に参入してくる。

 

p150:重要な変化は、社会防衛論の立場に立つ場合、すでに起きた犯罪(法学が対象にするのは本来こちらだけだが)だけではなく、これから起きうる犯罪に対する予防も重要な対象になることである。ここに、刑法の大原則であったはずの罪刑法定主義を超える実戦が入り込む隙ができる。したがって、大竹は「この「刑法学派の争い」には、19世紀末から20世紀初頭にかけて起こった司法的権力そのものの地位の根本的な変質が表現されている」とし、「法の代わりに、社会の「正常性」が秩序の安定性の基準として現れてくるということが決定的」になったと強く述べる。

フーコー『社会は防衛しなければならない』41頁。司法が、社会の「正常化」のために、実証科学的な技術(人類学、社会学、心理学、生物学、医学)への依存を強めていくことを指摘。

 

p150−151:同様の論争は、戦前の日本にもあった。旧派を支持する瀧川幸辰と、新派を支持する牧野英一の論争。

 

p154:以下、しばらくドイツの話。

このような問題は、ナチズムが倒れた戦後社会には関係がないこと、ではない。法律の規定に基づく正不正よりも、正常性という観点からみた、安全へのリスクになるような逸脱者を取り締まるという傾向は現代社会にも存在する。大竹は、戦後ドイツの「戦う民主主義」の中に、法律だけでは規定できない、形式的には合法的であっても、自由民主義体制への脅威となりうる合法性を認めない、超合法性のための秩序の議論に、合法性を超えて機能する「正常性」が、戦後社会にもあることを論じている。それだけではない。ドイツに限らず、イギリスでも、1970年代以降、S・ホール「危機を取り締まる」やモラルパニック論で論じられてきたことは、単なる違法性を超えて、社会的清浄性からの逸脱とみなされる行為や集団に対する、「イギリスらしい生活」の側からの道徳的非難の問題であった。Policing crisis、2002年版のp150。  

 

D・ガーランドは、このような司法の領域のなかへ、矯正や治療とそれを支える社会科学的な知が流入してくる過程を、刑罰福祉主義と名付けている(culture of control p38-39)。レッセフェール自由主義的国家から、福祉国家への歴史的移行が、刑罰の領域で現れた結果だと考えるのだ。

 

感想

最後のところで、刑罰福祉主義の凋落の話が出てくる。ここがきになるところだが、本論の射程からは微妙に抜け落ちている。純粋司法的な領域に、社会科学的知と実践が参入してくる過程があるという事実には旧派、新派、フーコー、ガーランドすべてが同意している。しかし、この過程を、法律主義を超えて特定の「正常性」を目指す行政管理的技術の侵入として否定的に捉えるのか(法治国家的原則が侵犯されていると考えるのか)、それとも福祉国家の発展が肯定的側面を持つのと同じく、社会防衛的な刑事政策は歓迎されるべき面を持っているのだろうか。前者は、啓蒙主義を経て等しく理性的であるとされる自由な主体の個人という前提が失われることを危惧しているが、後者はそのような前提はフィクションであり、現実的な社会政策による状況の改良・教育は良い結果をもたらすと考えるだろう。換言すれば「社会防衛」は良いことなのか悪いことなのか。

このような論争が目立つようになるのは、論争の軸が刑法学の旧派・新派論争が、次なるステージへ移った時である。本論はこの段階について議論の最終部分で触れるにとどまり、必ずしも強調はしていないが、今日的状況を考える上で重要である。たしかに本論でも、1970年代以降、社会防衛論に基づく強制主義に危機が訪れていることに、触れてられている。犯罪者の矯正・治療による社会復帰は、実際には有効に機能していないという批判が、先進諸国において沸き起こってきたことについてだ。刑罰福祉主義が拠って立つ基盤自体が疑われるようになった(culture f control pp53-73)という話。

しかし、リスク管理型ポリシングや保険統計主義、環境犯罪学、厳罰化への転回といったことまでは、出てこない。このあたりまで考慮に入れると、ガーランドの立場はかなり微妙になる。つまり、ガーランドはドゥルーズのcontrol society的な状況を批判するために、ある程度肯定的に刑罰福祉主義というのを言っていたのではなかったか。

 

 

いや、よくわからなくなったので、もう一度ちゃんとCulture of Controlを読もう。。。